2013/9/22 聖霊降臨節第19主日
「何事にも時がある」
コヘレトの言葉3:1~17
主任牧師 大村 栄
◇本日の洗礼式は、人間の計画を超えて実現した。まさに神の定めの時だったと信じる。
◇「1:何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある」。8節までの間に「時」の語が30回ある。あらゆる時が神の支配の中にあると言うのだ。「2:生まれる時、死ぬ時」に始まり、すべてに定められた時がある。しかし何もかも決まっているとすれば、私たちはその時が来るのを待つしかないのか。
◇だが、季節のようにやがて巡り来るのではない。詩編90:4「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません」。千年かかっても実現しないと思えるような事態も、御目=神の目には「夜の一時」に過ぎない。その神の支配の時間に私たちは委ねていくのだ。忍耐してこらえるのではなく、委ねて、信頼して待つのである。「忍耐」と「任待」。
◇「11:神はすべてを時宜にかなうように造り…」。口語訳は「神のなされることは皆その時にかなって美しい」。神の御業は人間の理解を超えて美しい。この信頼の中でこそ、私たちは自らの限界を知る人間の惨めさから解放され、平安の中に身を置く者とされる。
◇その様な生き方のモデルとして、神はキリストを世に現された。主イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)。と叫ばれたが、やがて「わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)と信頼に到達され、最期にはひと言「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)。すべては神のご計画の成就であったとの確信に至った。
◇「1:天の下の出来事にはすべて定められた時がある」。その時がいつかを問うのではない。すべての時をとり仕切る神におまかせすればいい。「この暗闇はいつまで続くのか」と問いたい私たちに、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われた主イエスが共にいて、神の時の支配に委ねる勇気を与えて下さる。それによって、死の先も含めて全てを神に委ねる信頼を生きるのが、聖書の語る信仰である。
◇一人の兄弟が、そのような神の支配に生きる生涯を、今日始められたことを感謝する。
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