2013/10/20 全家族礼拝
「この人を見よ」
ヨハネによる福音書18:38b~19:6
牧師 加藤真衣子
◇「のでのでので」という絵本があります。「~したので、~した」と繰り返すお話です。
イエス様の出来事は「のにのにのに」です。イエス様は何も悪いことをしていないのに逮捕され
、罪を犯していないのに群衆は「殺せ!」と叫び、ピラトはイエス様が罪を犯してないと知っ
ていたのに、自分を守ることに一生懸命になり、バラバは本当の犯罪者なのに赦されました。
◇十字架を見ていた人たちは「本当に救い主だったら自分自身を救ってみろ」と叫びま
した。十字架からおりるくらいのことを、してみせてくれたら信じてもいいかな。自分の願い
通りの神さまだったら信じる。でも自分の考えていなかったことが起こったり、すぐに解決が
与えられないと「ぷい!」と心が離れていってしまう。そんな想いが心を支配するのなら、私た
ちもイエス様を十字架につけた一人です。でもイエス様を十字架につけたのはこの私だと知っ
たのならば、十字架による赦しはもっと深い赦しとして与えられるのだと思います。
◇一番の「のに」は、罪深いのは私たちの方なのに、イエス様が身代りに命を捧げてく
ださったことです。そして十字架に死んだのに、復活なさいました。私たちが何のふさわしさ
も持ってないのに、神の子としてくださいました。
◇イザヤ書(50:6)では何の反抗も抵抗もせずに叩かれ、鞭うたれ、唾をはきかけられ
るがままという姿の後に「神は近くにいる(8節)」とあります。つらい時と、「神様が一緒にいる」
ということは、同時に起こっていることです。つらいときは神は不在、これを過ぎたらまた神
さまに会える、ではなく、つらいときこそ神さまが一緒にいるのです。伊豆大島の人たちと、
今イエス様が一緒にいてくださっています。
◇わたしたちの悪い心も、人を傷つけた言葉も、イエス様が引き受けて十字架につけて
くださいました。大きな愛を心にとめて、自分第一の「のでので」の人生から、イエス様に在るた
くさんの「のにのにのに」を見つけていこうね。
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