2013/11/3 降誕前第8主日礼拝礼拝
「約束を信じる」
創世記15:1~21
主任牧師 大村 栄
◇妻に子供が生まれない焦りの中にあったアブラム、後のアブラハムに、神は、「5:天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と約束された。すると「6:アブラムは主を信じた」。彼は信じるための手助けを与えられて信じたのではない。桁外れに大きな神の世界に目を向けさせられ、「参った」と降参するような思いで、「主を信じた」のだと言えよう。
◇同じような体験をしたのが、受胎告知を受けたマリア(ルカ1:30-)。「どうして、そのようなことがありえましょうか」と拒否するが、天使の言葉「神にできないことは何一つない」を聞いて、マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、アブラムと同様に主を信じた。
◇彼らは人間の可能性を遙かに超えた神の支配の偉大さに圧倒され、心を開いていったに違いない。私たちはともすると神の力を低く見くびっている。Your God is too small(あなたの神は小さすぎる)。「神にできないことは何一つない」と信じていこうではないか。
◇しかしアブラムは、それに続く神の具体的な約束に対しては、それを「8:何によって知ることができましょうか」と問うている。「どうしたら心の底から信じることが出来るようになりますか」と問うのはあっていいことだ。
◇これに対して主は、犠牲の動物を二つに裂いて並べさせた。約束を破った者はこのように身を裂かれるとの誓いのしるしだ。ここで約束を誓った者は、ほかならぬ神ご自身である。神は自らにこの警告を発せられたのだ。その神の前に立って、「6:アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。彼はただ神の約束される未来を信じれば良かった。いや信じるしかなかった。そしてそれが良しとされた。
◇10月27日から「降誕前節」に入っているが、これは別名「契約節」とも言う。神の約束を思い、信じる心を深くする季節である。
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