2014/5/18 復活節第5主日
「教会のかなめ石」
ペトロの手紙一2:1~10
主任牧師 大村 栄
◇「4:主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです」。この「石」について、6節以下に旧約の引用を交えて論じられる。「7:この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』」のである。これは信じるか否かによって価値が変わってくる信仰の試金石なのだ。
◇世の人々から見捨てられた主イエス、しかし彼は神に選ばれた尊い救い主。神はこれを大切な「6:かなめ石」としてシオンに、つまり神の民イスラエルの中心に置かれる。神を信じる者にとっては、その石は救いの石だが、信じない者にとっては「8:つまずきの石、妨げの岩」でしかない。
◇この石の尊さをしっかりと見抜くと共に、私たち自身も神に喜ばれる石として用いられたい。「5:あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい」。
◇「霊的な家」とは教会を指す。目に見える壮麗な神殿ではない。信仰共同体としての教会を造り上げるための「生きた石として用いられ」たい。「聖なる祭司となって」。祭司の職務は執り成し。教会は神と世との執り成しを行い、神との関係の和解のために努力する。「霊的ないけにえを…献げなさい」。ローマ12:1「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」を思い出す。献身と礼拝、それが私たちの神に捧げる「いけにえ」である。
◇教会は石のように確固たる存在で、世界を神にとりなす祭司の使命を担い、献身の決意を毎週の礼拝において捧げる。2014年度もそういう教会形成を志したい。そんな思いで今日の教会総会に臨みたい。
◇民話では「要石」は地中のナマズを抑えて地震を鎮めているとされる。「教会のかなめ石」はキリストだが、同時に「教会がかなめ石」として世界を支えるのだ。不動の石なる主イエスを親石とする教会の、私たちはそれを建てる石として用いられたい。
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