礼拝説教


2014/5/25  復活節第6主日

「悲しみから喜びへ」

ヨハネ福音書16:20~22
東京女子大学准教授 棚村惠子先生

 
◇教会の暦で5月29日(木)はキリストの昇天日である。使徒信条で告白するように主の十字架と復活、昇天と再臨は教会の大切な信条だが、とかく十字架における贖罪に重点が行き、後の箇条を重んじない傾向がないだろうか。さらに、古代の宇宙観での「天」を21世紀の今日、どのように信じることができるのだろうか。

◇キリストの昇天を視覚的、空間的に描いたルカは、福音書の最後と使徒言行録の最初に弟子たちが見ている間に天に上げられ雲に消えた主の姿を描く。それは、多くの画家の想像力を刺激した。しかし、ルカは古代人だからそう描写したのではなく、復活、40日の顕現、昇天、聖霊降臨と出来事を順序正しく記すことにより、再臨を待つ間は地の果てまでキリストの証人となって宣教する「教会の時」だと強調したかったのではないか。

◇これに対しヨハネ福音書はルカとは異なり十字架と復活、昇天を同時的に「栄光を受ける」高挙のときと描く。父のもとから来られたイエスが父のみ旨を行い、父のもとへと帰る「栄光」を弟子たちは理解せず悲しむ。十字架を前にした訣別説教で主は弟子たちを励まして言われた。「悲しみは喜びに変わるのだ」「勇気を出しなさい」と。

◇「私が去っていくことはあなたがたのためになる」と主がおっしゃったように、主の昇天は、父の家に私達の場所を用意されるため、ご自身が真理と命と道となられるため、そして聖霊を送るためである。その聖霊は弁護者として弟子たちを真理に導き、支え、決して孤児にしない。さらにパウロによれば、主が神の右に座すのは、私達のとりなしのためである。イエスを主と信じ告白する者にとってすべてが恵みである。

◇しばしの悲しみは、妊婦が赤子の誕生によって陣痛を忘れるように、復活と再臨によって大きな喜びに変わる。主イエスの方が私達に再び会いたいと強く望まれるからだ。ある女性が「緑陰をひとすじの風吹き抜けて嬰児は口を窄めて天を見上ぐる」と最期に詠んだようにキリストの大きな愛を信じる者として天を想いたい。

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