2014/6/22 聖霊降臨節第3主日礼拝
「話さないではいられない」
使徒言行録4:13~31
主任牧師 大村 栄
◇3章で神殿の「美しい門」の傍らに置かれた足の不自由な男にペトロとヨハネが、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言った。使徒たちの、そして教会が「持っているもの」、それは復活の主イエスの名である。その名を信じた男は歩き出した。
◇今日の4章ではペトロとヨハネが最高法院の尋問を受ける。何の権威、誰の名によって癒やしたのかを問う尋問だった。ペトロは彼が癒されたのは、「10:あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と言う。人によって殺されたキリストを神は復活させた。そこに新しい力と可能性が開かれたのだ。
◇彼らは「14:ひと言も言い返せ」ず、ただイエスの名によって話すことを禁じた。だがペトロは「20:わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と拒絶する。
◇解放された二人は皆と共に祈る。「24:主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です」は詩編146:6の引用。続いて詩編2:1-2が引用され、「27:ヘロデとポンティオ・ピラト」がイエスを殺したのは、旧約の預言の通りであり、しかもそれは「28:御心によってあらかじめ定められていたこと」だったと言う。
◇神は「24:すべてのものを造られた」のだからあらゆる災いも、すべて神の被造物であり、「定められていたこと」。ならばあらゆるところに神の支配が及んでいるのだから、平安と勇気を持てる。
◇しかも神はこの世界にひとり子イエスを遣わされ、その十字架と復活によって、人間の限界を超える道を開いて下さった。その復活の主イエスの名によって教会が語ったら、足の悪い男が歩き出した。単なる肉体の癒しを超えて、未来への希望の歩みに踏み出したのだ。そういう出来事を目撃し、体験した使徒たちは、そのことを「話さないではいられない」。それが今も、私たちの伝道の原動力であり、教会を生かすものなのである。
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