2014/7/6 聖霊降臨節第5主日礼拝
「神と人とを頼って」
マルコによる福音書6:6b~13
主任牧師 大村 栄
◇6月を「伝道月間」と定めて2度の伝道集会を開いた。伝道とは何か、それはキリストの身体なる教会が生きて働き、成長することだ。来週行う「組別一斉集会」もその伝道のために用いたい。
◇主イエスは弟子たちを伝道に派遣するに当たって「7:二人ずつ組にして遣わすことにされた」。一人より二人の方が安全なのは当然だが、四六時中一緒に過ごすには、互いに自分を抑制して譲り合い、謙遜にならざるを得ないこともある。
◇主イエスは弟子たちを派遣するにあたって、宣べ伝える者の生活態度について教えるが、何をどう語れとは言われない。マタイの並行記事(10:7)には「『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」とあるが、マルコではそれも省かれている。
◇「悔い改めよ。天の国は近づいた」は主イエスの宣教の第一声でもあった(マタイ3:2)。伝道月間の6月15日にお招きした山浦玄嗣兄は、ケセン語で「心ォスッパリ切り換(ケ)えろ!神さまのお取り仕切りァ今まさにここにある!」と訳した。
◇そういう大事なメッセージだが、マルコではそれを省いて、ただ生活態度を示せばいいと言われている。本気で「神さまのお取り仕切り」を望む者においては、自ずからそのことが生活態度に現れ、それが人に伝わるということだろう。
◇「10:どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい」。神さまのお取り仕切りを信じて生きる者は、神さまだけに頼って、人の世話にはならないということではない。神に頼って生きる者は、神が与えて下さる人を頼りとするのである。
◇こんな小さな私が用いられるという謙遜は大事だが、そんな私が証しさせられるのは「神さまのお取り仕切り」という偉大な神の国の真理だ。これを伝える者が卑屈であってはならない。「11:あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」。卑屈でなく毅然と、しかし傲慢でなく謙遜に福音を伝える者でありたい。
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