礼拝説教


2014/8/10 平和聖日礼拝

「許しこそすれ忘るなかれ」

マタイ福音書18:21~35
 主任牧師 大村  栄

 
◇6月27日(金)~7月1日(火)、更新伝道会の研修旅行に参加し、29日(日)は堤岩(チェアム)教会で説教奉仕をした。1919(大正8)年3月1日、ソウルで起こった「三一独立運動」は各地に拡がり、暴動も起こった。堤岩里(チェアムリ)村では4月15日に、日本の警察と軍隊によって、男性信徒21人が教会に集められ、焼き殺された。夫を助けてと叫んだ女性二人も殺された。95年後のその惨の場で私は説教をしたのである。

◇教会敷地内に建つ「殉国記念館」の展示の中にに「赦しこそすれ忘るなかれ」との言葉を見つけた。赦すことは出来ようが忘れることは決して出来ない。会堂の礎石にはルカ23:34「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」が刻まれている。自分たちがしていること、してきたことを忘れてはならない。傷つけた側は忘れても、傷つけられた側は忘れない。「赦しこそすれ忘るなかれ」。過去の罪が赦されることはあっても、忘れられることはないのだ。

◇「兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら…、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(マタイ5:23-24)。たまたま「思い出したなら」ではない。自分に誰かを傷つけた過去があり、今も反感を持たれている相手がいることを、私たちはいつも忘れてはならないのだ。

◇テキストは莫大な借金を王様から帳消しにしてもらった家来が、そのことを忘れて少額を貸した仲間を許さなかった話し。王はこの家来を厳罰に処する。赦された者はそれを忘れてしまうが、赦した者は忘れない。「赦しこそすれ忘るなかれ」。私たちは赦された(ている)ことを忘れてはならない。そして赦されなければならない自分であることも忘れてはならない。誰に赦されるのか。韓国やアジアの人々だけでなく、これまで出会ってきた多くの人々に、そして誰よりも、私たちのいのちを造り、これを豊かに生き、生かし合えと促して下さる神に、私たちは赦されなければならない。そして赦されているのである。

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