礼拝説教


2014/8/24 聖霊降臨節第12主日礼拝

「夕べがあり、朝があった」

創世記1:1~5,26~2:4a
主任牧師 大村  栄

 
◇「1:3 神は言われた。「光あれ」こうして、光があった」。天地万物は「○○あれ」という神の言葉、すなわち神の意志によって造られた。6日間で世界を造られたその最後に、神の愛の対象として人間を造られた。これが進化論では明かされない世界の誕生の意味である。そして「1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」。 ああ、良い世界が出来たという神ご自身の喜びが感じられる。しかし3章の「へびの誘惑」の記事に記されるように、人間は神に与えられた自由を濫用し、神との関係が崩れていく。

◇その関係を回復するために、神ご自身がこの世界に差し出して下さったのがイエス・キリスト。マタイ福音書は冒頭にこの方の到来の意味を記す。「1:23見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は『神は我々と共におられる』という意味である」。そして終わりの28章で主イエスは「28:20 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われる。天地創造以来神はこの世界と私たちを愛し、キリストを通して「あなたがたと共にいる」と言われ、「世の終わりまで共にいる」と呼びかけて下さる。

◇6日間の創造の一日ごとに、「夕べがあり、朝があった。第○の日である」とある。人間の時間は朝から始まり夜に終わるが、ここでは夜が先にある。交読した詩編127:2「主は愛する者に眠りをお与えになる」。人間が一日を終えて眠りについたところから、神の時間が始まる。

◇「2:2:第七の日に、神は御自分の仕事を完成され…安息なさった」。安息日「シャバト」は「中止」を意味する。この日は一切の労働をやめ、人間の努力を鎮めて、神の導きにゆだねる信頼の日だ。「夕べがあり、朝があった」。夜の不安な時間を過ごすような時も主は共にいて下さり、必ずや私たちに朝を迎えさせて下さる。「安かれ、わが心よ、主イエスは共にいます」。

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