礼拝説教


2014/9/28 聖霊降臨節第17主日

「命の使い方」

マタイによる福音書25:14~30
牧師 加藤真衣子

 
◇主イエスのたとえ話に登場するしもべたちとは私たちのことを指し、タラントンとは神から受けた私たちの地上のもの一切、すべてのことを言う。その中には力・能力・才能なども含まれるが、本来タラントンはそれ以上のものだ。一切の賜物の与え主である神が、しもべたちに自分の財産を預けるところから、私たちの人生の物語は始まる。

◇私たちは賜物を“預けられて”いる。賜物は自分のものとして所有するのでなく、預けられた神との関係の中で意味を持ち、力を持つ。一人目と二人目のしもべは、タラントンも成果も違った。しかし主人の二人への賞賛の言葉は全く同じだった。賜物に違いがあっても、神との関係に違いはない。そして神が喜ばれるのは、どれだけの利益をあげたかではなく、しもべたちが預かったものを生かして、有意義な人生を送ることだ。人間は結果を見るが、神はその生き方、私たちの全行程をご覧になる。

◇21節・23節では五タラントンも二タラントンも「少しのもの」と言われている。一タラントンは約二十年分の賃金に相当するから、私たちからすれば相当なもの。けれども神にとっては「少しのもの」にすぎない。この少しの賜物に忠実に生きることを、神は喜ばれる。三人目のしもべは人の目を恐れ、神の恵みを見つめなかった。人との比較によって自分に与えられた賜物を見失ってしまった。あなたたちはそこから自由になれ、と聖書は告げる。

◇私たちは自分に与えられている一タラントンの素晴らしさを受け取り直そう。私たちの人生には主イエスが同行してくださる。この同行者は死によって同行を終える方ではない。私たちは迷ったり、失望したり、神の恵みを地に埋めてしまったりする。しかし神の恵みは私たちを諦めない。私たちの力が尽きるところ、そこから神の力が始まる。預けられた賜物を生かし、いつかそれをお返しする時まで、使命を果たしていこう。
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