2014/10/5 世界聖餐日・世界宣教の日礼拝
「世の罪を取り除く神の小羊」
出エジプト記12:21~28
主任牧師 大村 栄
◇イスラエルのエジプト脱出を可能にした10の災いの最後は、一夜にしてエジプト中の初子が死ぬという災いだった。これをイスラエルの家だけは免れるためにモーセが命じたのは、羊を屠ってその血を家の入り口に塗ること。そうすれば、災いはその家を過ぎ越した。
◇モーセはまた、この出来事を永遠に語り伝えよと命じ、今も「過越祭」として守られている。その日には荒野の体験を追想する種入れぬ固いパンや苦菜を食べ、子供たちが「26:この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ねたら、「27:これが主の過越の犠牲である」と宣言する。それを聞いて「民はひれ伏して礼拝した」とある。
◇その際に屠られた羊は、十字架の主イエスの予兆であると新約聖書は語る。洗礼者ヨハネはヨルダン川のほとりでイエスを指して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と言った。
◇主が弟子たちと共にした「最期の晩餐」は過越しの食事だった。その食事の席で主は聖餐を制定され、「世の罪を取り除く神の小羊」として十字架への道を歩んで行かれたのである。
◇今日は世界聖餐日。始めてこの聖礼典を見た人は不思議に思い、イスラエルの子供らのように、「26:この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ねるかも知れない。その時こそ「27:これが主の過越の犠牲である」と言いたい。このパンとぶどう酒が象徴するキリストの命と引き替えに、私たちはエジプトの奴隷以上の、罪の奴隷から解放され、自由と解放を得たのであると。
◇2017年はルターの宗教改革500周年。宗教改革は礼拝改革でもあり、礼拝は祭儀中心から説教中心になった。しかし私たちは祭儀に秘められた霊的な力を忘れてはならない。「26:この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ねずにおれなくなるような真剣な儀式を行っていきたい。そこにキリストの犠牲による自由と解放、和解と平和の希望があると信じて。
◇本日午後、混乱が続く香港の、学生や市民が占拠している香港政府市庁舎前で、超教派の合同聖餐礼拝が計画されているそうだ。キリストによってその聖餐が和解への一歩となることを信じる。
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