礼拝説教


2015/1/11 降誕節第3主日礼拝 — 成人祝福

「水がめに水を」

ヨハネによる福音書2:1〜11
副牧師 加藤真衣子

 
◇婚礼の席でぶどう酒がなくなった一大事を母は主イエスに伝えた。主は「4:わたしの時はまだ来ていません」と仰った。母が願うときでなく主イエスの時があるというのだ。私たちの願う時は大抵「今すぐ」だが、私たちの想うよりも、はるかによい時を救い主が備えてくださっているのは慰めだ。

◇主は召使いたちに水がめに水をいっぱい入れて婚礼の席へ持って行くことをお命じになった。召使いたちは井戸まで行って、大きな石の水がめ6つに水を汲んで家まで運ぶという作業を何回も繰り返した。なぜ水を運ばねばならないのか。おそらく彼らは分からなかった。もし「ぶどう酒を運べ」と言われていたら彼らは喜んで運んだだろう。しかしなぜ水を運ばなければならないか、わからなかったが彼らは運んだ。重い荷物の意味を今の自分にはわからないが、この意味を知っていてくださる方がいる。これが、私たちの信仰だ。

◇私たちは何もかも訳が分かって生きているのではない。むしろわからないことだらけの中、ただ水を運ぶ人生は辛い。しかし「キリストの時」には水はぶどう酒に変えられるのだ。

◇水がめは6つ。聖書では7が完全数。私たち人間は6という不完全な者に過ぎず、6は私たちの仕事や労苦を表す数字。水がめに水を入れて頑張って運んでも、7がなければ、すなわち主がいなければ、私たちは欠けているのだ。私たちの働きや労苦に意味を与えるのは主だ。主なしに「この水を運んで意味があるのか?」と問うのは、むなしい。

◇私たちは人生における7を持つ。水を運ぶ6日間を過ごしつつ、礼拝のときを神さまが備えてくださっている。終わりの日には天国の結婚式で最上のぶどう酒をいただくことが約束されている。私たち・ェ過ごす全ての時は誰の手でもなく、愛なる神さまの御手の中に置かれている。新成人たちが主の期待と祝福に応えて人生の選択をしていけますように。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com