礼拝説教


2015/3/15 −受難節第4主日礼拝−

「山上の変貌」 

ルカによる福音書9:28〜36
主任牧師 大村 栄

 
◇主イエスは十字架への道が神のみ旨なのかを問うために登ったヘルモン山で姿が変わりモーセとエリヤが両脇に立った。それが神のみ心であり旧約の成就であることを示す。

◇感動したペトロは、「33:先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」と言うが、神の言葉があった、「35:これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」。ここにいるのが素晴らしいのではない、主の言葉に聞いて従うことが大切だと言われる。主イエスご自身そこに留まらず、山を下りて十字架への道を歩んで行かれた。山に登ったのは、進むべき道を確認して踏み出すためだった。

◇主イエスの両脇に立ったふたりも、同じように山に登った。モーセはシナイ山で神から十戒を頂き、降りてきて約束の地への旅を、単なる民族の移動ではなく、信仰共同体形成の旅として歩み出した。エリヤは王妃イゼベルの執拗な攻撃の中でホレブ山に逃げ、そこで「7000人のバアルに膝をかがめない者を残す」との神の声を聞き、孤立無援だと思っていた自分に必要な助け手が与えられていることを知って、勇気を得てホレブ山を降りる。

◇もう一人はM・L・キング牧師。1968年4月4日に39歳で銃撃される前夜に語った説教が、「私は山に登った」。「私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。神の栄光をこの目でみたのですから」。

◇山は目的地ではない。キング牧師がそこから「約束の地」を見たように、モーセがピスガの頂で故郷カナンを見たように、主イエスもしっかりと進めべき道を見定めた。それは苦しい十字架への道だが、その先に復活という神の栄光の未来が備えられている。

◇私たちも「山」である礼拝で変えられ、主イエスのみあとに従い、約束の地を目指そう。

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