礼拝説教


2015/4/5 −復活祭礼拝−

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」
〜新年度教会標語による説教〜 

コリントの信徒への手紙二 4:7〜18
主任牧師  大村 栄

 
◇精神医学者フランクルは著書『夜と霧』の中で、自らも収容されたアウシュヴィッツ収容所で、多くの者は無感動無関心の「文化的な冬眠」状態におちいるが、「内面的な拠り所」を持っていた者たちは、たとえ肉体的には弱くとも最後まで人間らしさを失わず、それによって肉体も持ちこたえることが出来たと記している。「内面的な拠り所を持たなくなった人間のみが崩壊せしめられた」というのだ。

◇私たちは目に見えるものに頼らざるを得ないが、最も大切なものは目に見えないところに存在している。それを見失うと生物としては存在していても「文化的冬眠状態」に陥り、心が荒廃していく。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(『星の王子さま』より)。

◇「16:たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」。衰えゆく「外なる人」としての人間を拠り所とするのでなく、「内なる人」として「日々新たにされていく」命に目を向けたいものだ。

◇キリストの十字架と復活によって、私たちは「外なる人」としてだけではなく、「内なる人」として生きる力を与えられた。そしてそこにおいて、先に召された愛する人々とも生死を越えた交わりを持つことが出来るようにされた。そういう「見えない」けれど「永遠に存続する」ものこそが、フランクルの言う「内面的な拠り所」になるのである。

◇復活の主はトマスに、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われた(ヨハネ福音書20:29)。

◇「18:わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」。この標語を掲げて歩む2015年度は、キリストを信じ、キリストを下さった神の愛を信じる一年、信じる人の幸いを生きる一年でありますように。

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