礼拝説教

2015/5/17 -復活節第7主日 礼拝- 

「新たな地平へ」

使徒言行録1章6~11節
棚村 惠子先生(東京女子大准教授)

◇イースターから40日たった先週の木曜日は主イエスの昇天を記念する日でした。主が天に上げられ、弟子たちは茫然と空を見つめていました。「なぜ天を見上げて立っているのか」と天の使いが言いました。そして主が同じ有様で再び来られるとも告げました。神の救いの計画は、イザヤ書55章8~9節のみ言葉のように、人間の思いを遥かに超えます。天をいつまでも見上げてはならない。私たちにはこの地上でなすべき仕事があるからです。 

◇昇天された主は弟子たちを見捨てたのではなく、新しい地平へと導くためでした。しかし、弟子たちは復活された主が今度こそ自民族を復興してくれるとの期待を抱きました。そのような弟子たちにとって主が天に昇られ、見えなくなった時、彼らの夢も消えてしまったと思いました。主を見失った弟子たちの姿は他人事ではありません。 

◇私たちの信仰生活においても同様のことが生じます。勝手な期待を抱き教会の門をたたいたものの、それが満たされないと失望する私たちは、教会生活の多忙さの中で空しさを覆います。しかし主のご臨在を信じられない私たちの信仰的弱さは、奉仕や活動でごまかすことはできません。 

◇『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』という本には、愛の人マザーテレサが長年心の闇に苦しんだことが書かれています。彼女はその空しさの中で、自分の渇きはイエスの渇きに自己を同一化したゆえだと悟ります。愛の人であっても神の愛が実感できないとのマザーの告白に愕然とします。どうしたら空しさから救われるのでしょうか。 

◇主は言われました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして地の果てに至るまでわたしの証人となる」。神の救いの御計画は人間に真の力を与え、人間が考える民族の枠、救いの枠を超えて新しい地平へ導きます。そのブレイクスルー(突破)を可能にするのは聖霊です。私たちは聖霊を切に祈り求めましょう。個人としても教会としても新しい地平は聖霊の導き以外にはありえないからです。

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