礼拝説教

2015/6/14 -聖霊降臨節第4主日礼拝- 

「わたしたちを救いうる名」

使徒言行録4:5~12
牧師  大宮  溥
  

◇キリスト教会の誕生と初期の歴史を伝える、使徒言行録は、聖霊降臨日における教会誕生の物語の後に、エルサレムの神殿の前での「足の不自由な男の癒し」について記している。ユダヤを舞台とする旧約の救済史が、イエス・キリストによって新約の歴史へと発展し、それがエルサレムから地の果てまで拡がって行くその発端が描かれている。 

◇最初のクリスチャンたちは、自分たちだけの特殊集団を作らず、宮もうでも続けていた。あの男は障碍の身であったため「汚れた人」として宮の門の外で物乞いをしていた。ペトロとヨハネがイエス・キリストの名によって立って歩けと語ると、男は踊り上がって立ち、宮の内に入り、神の民として礼拝に連なった。この奇跡に驚いて集まって来た人びとに、使徒たちは救い主イエスの福音を説いた(第3章)。 

◇神殿の管理にあたっていた祭司や神殿守衛長たちは使徒をとらえ、宗教会議の裁判にかけた。使徒たちは、あの男を立たせたのは十字架と復活のイエス・キリストの名であることを証言し「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(12節)と宣言した。 

◇キリストは「家造りらに棄てられたが、隅のかしら石となった」(口語訳)。これは詩編118編からの引用で、ユダヤ人たち(人間)に抹殺されたイエス・キリストを神が立てて、人類の唯一の完全な救い主とされたことの宣言として用いられたのである。 ◇現代は諸宗教がそれぞれ人間に深い人格的な出会いを与えていることが理解され、霊性に関する「宗教間の対話」も深められている。キリスト教も「宗教」として他宗教と霊性の共有面を持つが、「キリストの名」は独一なものである。この名の持ち主は、「真の神にして真の人」であり、人間の身代わりとして贖罪と和解を成し遂げられた。この救いの究極性をキリスト者は信じているのである。 


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