礼拝説教

2015/6/21 -聖霊降臨節第5主日礼拝- 

「喜びの道」

使徒言行録8:26~40
牧師  大宮  溥

◇初代教会の歴史はユダヤにおける教会設立と宣教開始のあと、「ギリシア語を話すユダヤ人」の中から出た執事たちの活動に対する反感からエルサレム教会に対する大迫害が生じた。しかしキリスト教会はそれを契機として異邦人世界へと拡がった。エチオピアの女王付き高官(宦官)の回心はその端緒の出来事である。

◇フィリポは7人の執事の一人であったが、エルサレムから追放された彼に「ガザへ下る道に行け」との御告げがあった。そこは遠くアフリカに下る海岸の「寂しい道」であった。そこに異邦世界に孤立して立つ一人の人物が、馬車を走らせていた。

◇彼はユダヤ教への改宗者でエルサレムへの巡礼の帰途であった。彼はイザヤ書53章の「苦難の僕」の預言を読んでいた。フィリポはそれを説き明かして、イエス・キリストの福音を告げ知らせた。この箇所は初代教会がキリスト預言として最も重要視したところであり、贖罪者イエス・キリストの苦難と救いを深く示唆している。

◇キリストの恵みを信じた宦官は、道の傍らに水のあるところに来ると「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と問い、信仰を告白してキリスト者となった。このようにして、ユダヤ人たちが神無き世界と考えた異邦の砂漠の只中に立つ一人の異邦人を「神の国の主」であるキリストが捕らえて、「地の塩、世の光」として立てられたのである。彼はこれから一人で「寂しい道」を帰郷するのであるが、この地における神の民の一員、その最初の一員として「喜びにあふれて」帰るのである。

◇今年は第2次世界戦争後70年であるが、あの敗戦のとき日本人は、社会的にも精神的にも一切を失って「寂しい道」に投げ出された。わたしはその時福音によって「喜びの道」へと導かれた。現在も霊的にわれわれは「寂しい道」を歩んでいるのではなかろうか。


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