礼拝説教


2015/6/28 -聖霊降臨節第6主日礼拝- 

「揺るぎない土台に生きる」

ルカによる福音書6:46~49
伝道師 堀川  樹

  

◇マタイによる福音書の有名な山上の説教と対応する形で書かれているルカ福音書の平地の説教(6:20~49)。その最後に「家と土台」の話が記されている。イエス様はこれまで弟子達に揺るがぬ祝福が与えられていることを教え、その祝福に与る生き方をこの御言葉を通して、私たちに告げている。

◇イエス様はあなたたちが「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人」(47節)とはっきりおっしゃっている。しかし、イエス様を信じ従っても、この世において洪水は押し寄せてくる(48節)のである。

◇なぜ御言葉を聞いて行う人は洪水に襲われても倒れないと約束されているのだろうか。それは御言葉を聞いて行う人は帰ってくる場所を知っていて、その場所に帰ってくることができるからである。またその家へと招いてくださる方を示されている。だから、私たちは洪水が襲ってくることがあっても日々の生活にも精一杯励むことが出来るのである。

◇ここで私たちは行うということだけに生きてしまってはいけない。なぜ御言葉を聞いて行うのか。それはイエス様が示して下さったことであり、そこをしっかりと土台にしなさいと言われているからに他ならない。

◇弟子達はイエス様の言葉を聞いて、精一杯行うということに生きていた。しかし、イエス様から御言葉を聞いたという以上に、言い換えればイエス様抜きにして自分が行う、自分が従っていくと一生懸命になっていたのである。その結果、イエス様が見えなくなってしまった。それがあの十字架の出来事である。十字架は自分たちで行おうとしたが、それができなかった「しるし」として与えられたのである。

◇私たちはその十字架をかかげた所に帰ってくることができる。そう招いて下さる方がいる。私たちが揺らいでも、決して揺らぐことのない方がいてくださり、その方の言葉を聞いて歩む幸いに生きようではないか。


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