◇本日の主日聖書日課は「苦難の共同体」を主題としている。イエス・キリストは「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが人の子には枕る所もない」と嘆かれた。ここで「苦難」と言われているのは、教会が神の民として成長することが困難となり、教会の存在そのものが脅かされているような、深刻な事態である。今日の教会もこのような事態にある。
◇このような危機と苦難は、聖書の宗教の初めからあった。エリヤが預言者として活躍した紀元前9世紀は、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルが、カナン(パレスチナ)に入り国を造り、生活を築きつつあった時代である。遊牧から農耕生活へと定着し、文化生活を築こうとしていた。王は、民に先祖の神ヤハウエよりも農耕神バールを崇めるように奨励した。エリヤはカルメル山上で、バールの預言者450人と対決し勝利した。
◇しかし王女イゼベルの脅迫に疲労困憊したエリヤは、荒野に倒れて、絶望のあまり死を願った。彼は神の山ホレブ(ピスガ)で主の前に立った。そこで嵐や地震や火など、普通神の顕現とされるものに出会ったが、そこに神はいまさず火の後に「静かにささやく声」が聞こえた。これは人間の感覚では捉えられない、むしろ人間を飲み込んでしまうような神秘的な経験である。
◇神はエリヤに「わたしはイスラエルに7千人を残す」と語られた。われわれ現代日本にも、少数者とはいえ、統計的に百万人のキリスト者がおり、折々にキリストの福音に生かされている多くの人がいる。
◇今日「日本における道徳教育」が改めて論じられている。聖なるものへの畏敬の念を養い、愛を育み、共生の基本を身につけることの大切さが意識されている。道徳の基礎は宗教が今こそ訴えの力を発揮しなければならない。エリヤへの声が、われわれにも語られている。霊性の風を受けて、神の国の巡礼の道を進もう。先輩たちの外套がわれわれに投げかけられている。