礼拝説教


2015/8/23 -聖霊降臨節第14主日礼拝- 

「生くるも死ぬるも主のため」

ローマの信徒への手紙14:1~9
牧師 大宮  溥

  

◇本日の主日日課は、ローマの教会の中で教会の一致を困難にしている、ある生活規則をめぐる問題を取り上げている。教会は人々の自発的な参与によって形成される集団であり、「イエスは主である」との同じ信仰告白のもとに参加するのであるが、人間には皆、個性があり、お互いに違っているので、そのような多様性の中での一致をどう作るかが問題となる。 

◇この問題についてローマ書では12章で、教会が「キリストの体」であることを掘り下げ、個々のメンバーは体の部分(手、足等)として違っていても、全体としてまとまり共働することによって、生命体として活動すると教えている。 

◇ところが14章で取り上げられているのは、教会の中に生活方針をめぐって違った考え方が生まれ、お互いは対立するという事態になった問題である。多分ユダヤ教時代に守ってきた食事規定(菜食主義)、祭日規定(土曜安息日)を厳守する禁欲主義的なグループと思われる。これは少数派で、多くのものは「キリスト者の自由」から、神の与え給うものはすべて受ける自由派であった。日本でも禁酒禁煙などのピューリタン的な態度があった。 

◇パウロはこれに対して(1)この対立は双方共に信仰的判断から起こっているので、自分と違う他のグループを軽蔑したり、批判してはならない。(2)いずれのグループに属するにせよ各自は「自分の心の確信に基づいて」態度決定しなければならない。(3)われわれは共に「生くるも死ぬるも主のため」という信仰の道をたどることによって、多様性の中での一致の道を歩むことができる。このように勧めている。 

◇日本のプロテスタント教会は、多くがピューリタン的な伝統を受け継いできたが、戦後ヨーロッパの教会の流れも加わり、個人的な禁欲倫理より自由な良心をもっての愛の実践が叫ばれた。しかしアルコール依存症やうつ病への対応等、一律でなく各自の個性ある対応が求められる。 


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