2015/8/30 -聖霊降臨節第15主日礼拝-
「憐れみを求めて」
マルコによる福音書10:46~52
伝道師 堀川 樹
◇与えられた聖書箇所はエルサレムに向かう途中に位置するエリコでの出来事。 そこに一人の盲人バルティマイがいた。彼は道端に座って物乞いをして 何とか 生きていた。身内にも町の人にも見捨てられ、身体的には不自由さを、精神的に も痛みを抱えていた人。彼は癒やされたいと願いつつも叶わずに いたが、そん な時、各地方で様々な奇跡を行っていたナザレのイエスが自分の町を通りかかっ たことを耳にする。
◇しかし、バルティマイは目が見えない故に自分から探すことができない。そこ で彼はそこに主イエスがいることを信じて、声の限りに「わたしを憐れ んでく ださい」と泣き叫ぶほかなかった。今癒していただかなければ、もう自分は救わ れない。これが最初で最後のチャンス。だから切なる思いをもっ て彼は叫び続 け、憐みを求めたのである。
◇主イエスはこの祈りにもならない叫びをも聞き、足を止められる。そして「あ の男を呼んで来なさい」と招き、「安心しなさい。立ちなさい」と声を かけて くださる。道端に置かれ、物乞いするしかなかった人をも深く憐れんでくださ り、立ち上がらせてくださるお方である。
◇バルティマイは主イエスに「何をしてほしいのか」と問われ、「目が見えるよ うになりたいのです」と答えることによって癒された。しかし、これは 彼が周 りの人から止められても叫び続けることをやめず、それほど信仰深かったから癒 されたということではない。ただ、主の憐みによって彼は癒され たのである。 しかも彼は目が開かれて人並みの生活をするようになったのではなかった。その 開かれた目で見たのは主イエスの十字架。そして復活で あった。
◇私たちが見なければならないのは主イエスの十字架と復活であり、ここにこそ 私たちの生きるべき希望と主にある平安が示される。主の憐みによって 救われ た私たち。だからこそ、これからも「主よ憐みたまえ」と祈り続け、神の御業を 見させていただくその信仰の旅を歩もう。
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