2015/9/20 −聖霊降臨節第17主日−
「共生の道」
ルカによる福音書16:1〜13
牧師 大宮 溥
◇本日の主日聖書日課は「世の富」について語っている。最後の節では「あなたが たは、神と富とに仕えることはできない」と二者択一を迫っている。 ここで 「富」と訳されているのは「マモーナス」で、富が神として崇められている。拝 金主義が偶像崇拝として退けられている。
◇しかしクリスチャンといえども、富なし、金なしで生きていけはしない。「不正な管理人」物語は、富の「巧みな」(文語訳)用 い方について示唆を与えている。この物語で不審なのは、8節の 「主人は、この 不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」という言葉である。
◇このたとえは7節までで終わっており、8節で「主人」と訳されている「キュリ オス」は、「主イエス・キリスト」と取ると、納得がいく。主イエス はこのたと えを話し終えられてから、彼のやり方を評価されて、「この世の子らは、自分の 仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」と告 げ、弟子たちや、神 の国の世継ぎと自認している人たちこそ、この世における生き方を学ぶべきであ ると、諭された。
◇「この世」、すなわち神の国が来る前の世界には二つの秩序が働いている。一つ は富の秩序、金の秩序、もう一つは人間関係、人格の秩序である。富 の秩序は 持てる者たちはますます豊かに、持たざる者たちはますます貧しくなってゆく、 貧富の格差助長、弱肉強食の世界である。貨幣は同一価値であ るのに、貸し借 り、取引の中では利子が付き、借金が膨らんでゆく。利子禁止の掟もあったが、 現実にはあまり機能しなかった。これに対して人格の秩 序は愛の秩序であっ て、「隣人を自分自身のように愛する」共に生きる、共生の秩序である。
◇この二つの秩序を我々の人生において、どのように関係させるかが問われてい る。「金持ちとラザロ」の物語は、富の秩序のみに生きて隣人愛を持た なかった 生活への神の審判である。それに対して「不正な管理人」の物語は、共生の道の中 に富を取り入れようとする示唆である。
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