2015/11/8 −降誕前第7主日−
「心に響く神の足音」
創世記3:1〜15
牧師 大宮 溥
◇聖書は冒頭に、人間の創造と、人間が神に背いて楽園を追放された物語とを記している。人間には光と影の両面がある。
◇神は人間をエデン(楽しみ)の園に住まわせ、園を耕して守らせようとされた。ある日悪賢い蛇が女に声をかけて、神への純な信頼を疑うように仕向けた。園のすべての木の実を食べてはならぬのかという問いに、女は禁断の木は一本だけだと正しく答えたが、心の中にそれはなぜだとの疑いが湧いた。疑いは不信頼への転機となる。「善悪を知る」とは「全知」ということで神のみのものである。蛇は神が物惜しみしておられるように語って、女に違反を唆した。女の内に欲望が湧いてきて、神の禁令を破った。結果は幸いでなく、神からの光の消えた陰の現実(裸)であり、呵責の思いが湧いてきた。
◇喧噪の昼が過ぎて、夕べの涼しい風に我に返るころ、アダムとエヴァは主なる神の足音を聞いた。心に響く神の御臨在の気配である。罪を犯した人間は、神を正面から見ることができず、身を隠そうとする。しかし、神はどこへでも近づいて来られ、「お前はどこにいるのか」と問いかける。人間は罪を突き付けられるが、それを他者のせいに転嫁しようとする。神はめいめいに処罰を与える。そして楽園から追放する。しかし、「皮の衣」を与えるという恵みを加えられる。
◇この「失楽園」物語は、原罪の教理の聖書的根拠である。原罪を性欲と結び付け、それが生物的な遺伝によって全人類に及ぶという解釈は現在では否定されている。原罪はすべての人間が罪を犯し、神の断罪を免れないという、事実を事実として認めることである。
◇人間に原罪について明白に教えるのはイエス・キリストの十字架である。罪なきキリストが人類の罪と滅びをご自分に引き受け、よみがえりの純なる生命を人類に与えられる。ここに原罪とそこからの解放が示されている。15節を「原福音」と呼び、十字架の苦しみを受けつつ、神の力によって罪と死を砕く預言と取るのは一つの示唆である。
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