2015/12/20 -降誕祭礼拝-
「喜びの星」
マタイによる福音書2:1~12
牧師 大宮 溥
◇イエス・キリストは「輝く明けの明星」である(ヨハネ黙示録22:16)。紀元元年ごろの世界には、古代の混沌に救いと平和をもたらす王の出現を予言する言い伝えがあった。マタイ福音書は東方の占星術の博士たちの来訪の物語を通して、イエス・キリストが神の民であるユダヤ人の王であるのみならず、世界の救い主であることを告げようとしたのである。
◇旧約聖書は、世界の創造者であり歴史の主である唯一の神を示しているが、この唯一神信仰が完成したのはバビロン捕囚の頃であった。一般に戦争に敗れると、戦勝国の神が勝利したと考えられ、戦敗国民はそちらに改宗した。ところがユダヤ人たちは、バビロンの偶像でなく、父祖の神こそ生ける唯一の神であることを確信し、しかもその高きにいます神が、どん底に落ちた民を救うことを信じて生きた。博士たちが探した「救い主」は、天から寒村に、この世の底辺に下り、どん底から人間全体を救う。
◇星に導かれて幼子を訪れた博士たちは、喜びに溢れて、礼拝を捧げた。神が我々の内に宿られたので、われわれも自分自身を主に捧げるのである。
◇博士たちは「黄金、乳香、没薬」を献げた。黄金は金属の王、乳香は礼拝の時に焚く香、没薬は葬礼の時に用いる香料であるから、彼らはキリストを、王・神・贖罪主として礼拝したのである。
◇博士たちの帰路は来た道とは「別の道」であった。嬰児虐殺の道でなく、「キリストの愛が駆り立てる」(コリント?5:14)、神を愛し隣人を愛する道である。
◇博士たちは「自分たちの国へ帰って行った」。彼らは神の民と自負するユダヤ人からは「異国」である自分の国へ帰ったのである。我々の「自分たちの国」は、キリスト者が少数の土地である。しかし「神は、その独り子をお与えになったほどに、世(世界)を愛された(ヨハネ3:16)。」この世への宣教と奉仕が我々の使命である。
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