2016/1/10 −降誕説第4主日−
「世の罪を担う神の小羊」
ヨハネによる福音書1:29〜34
牧師 大宮 溥
◇「輝く明けの明星」であるキリストは、地上に生まれたのは紀元元年である が、天地創造のはじめから存在された。旧約の預言者たちはこの救い主の 来臨 を予告してきたが、その最後の証人がヨハネである。
◇ヨハネは自分がメシアではなく、「荒野で叫ぶ声」であると言う。「言」であるイ エス・キリストを運ぶ「声」である。救いの実体でなく、これを運 ぶ手段、媒 介である。
◇彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と証した。「神の小羊」という言葉 で思い起こされるのは、出エジプトの際、神がエジプト人の長子を打た れた が、イスラエル人の家の門に小羊の血が塗られ、それを見て死の天使が過ぎ越し たという「過越しの小羊」である。次に「世の罪を取り除く」とい う言葉は、 第二イザヤの「苦難の僕」を思い起こさせる(イザヤ書53章)。さらに贖罪の日に神 の民イスラエルの罪を転嫁されて荒野に放逐されて魔 に渡される「アザゼルの 雄山羊」も想起される。これらから「世の罪を引き受けて犠牲になる救い主」が 示されたのである。
◇ヨハネはイエスの上に霊が下ってとどまるのを見て、この方が「神の子」である と証言した。マルコ福音書では、イエスの洗礼の時、霊の下降を経験 したの は、イエス自身であったと伝えているが、ヨハネ福音書では、霊によるイエスの 変貌を洗礼のヨハネが見て、イエスが神の子であると証したと述 べている。「神 の子」という称号がイエス・キリストの根本を示している。
◇主イエスは神を「アッバ」と呼んだ。これは幼児が父を呼ぶ親愛の情に満ちた言 葉であった。初代のキリスト者たちは、そこに神と本質的に一つであ る生命的 な交わりを見、キリストによってその交わりへと招かれることを・o験して、ユダ ヤの地以外でも、神を「アッバ父」と呼んだ。われわれも「神 の子」イエス・ キリストに導かれて、「神共にいます」(インマヌエル)の道を通り、この年を 歩みたいものである。
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