2016/1/31 −降誕節第6主日−
「キリストの福音にふさわしく」
フィリピの信徒への手紙1:27〜30
船本 弘毅 先生
◇わたしたちは皆、自らの内に「仲の悪い虚像と実像」を抱えて生きています。 この相克なしに生きられない存在かも知れません。
◇パウロは、フィリピの信徒に「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送 りなさい(27節)」と勧めています。この時、彼は獄中にあり、彼を 助け励まそう と働く人々と、この機会を利用して自分たちの勢力拡大を計る人々とに、はさまれ ていました。
◇「ふさわしく」とは、単に福音の教えを守りなさいというのではなく、神がイ エス・キリストを通して与えて下さる恵みと力の中にしっかり留まりな さいと いうことです。「生活を送りなさい」という句は、語源的にはギリシャのポリス に関係していますから、パウロはあなた方は、教会生活を共に送 る中で、主の 民として生きなさいと勧めているのです。
◇パウロはさらに「福音にふさわしい生活」は「福音の信仰のために共に戦うこと」 であり、「キリストのために苦しむこと」だと語ります。「キリス トのために苦し む」という言葉は、パウロの直筆の文章の中ではここにのみ出て来ます。それは 誰もが避けることの出来ないこの世の苦しみではなく、 信仰に生きることのゆ えに受けざるを得ない苦しみを、信仰者は恵みとして受け、キリストに従ってキリ ストのため、教会のために生きることを求めて いるのです。
◇キリストのために共に戦い、共に苦しむということは、肩をいからせて、自分の 力だけで何かをしようと頑張るということではありません。生活の中 の小さな出 来事にも喜びと意義を見出し、生かされている恵みに感謝しつつ、キリストの背 後からついて行くということです。
◇2016年という新しい年も今日で一月が過ぎ去ろうとしています。さまざまな事件 のあった月であり、前途多難を予感させる年明けでした。その中 で阿佐ヶ谷教会 が「キリストの福音にふさわしく歩む者の群れ」であり、「共に戦い、共に苦しみ を分かち合う教会」として歩むことを願ってやみませ ん。
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