2016/2/21 ー受難節第2主日礼拝ー
「驚くべき御業にあずかる」
マルコによる福音書6章45〜52節
協力牧師 中野 実
◇新約聖書の四福音書には、イエスの奇跡が多く記されている。神学者ブルト
マン によれば、聖書の奇跡は自然の法則に反した不思議な現象ではなく、 神の
業とし ての奇跡である。それは神を認めない者には隠されているが、信仰の目
によって はじめて見えるようになる。信仰は、神の御業(奇跡)を私 たちのうち
に発見する 力、想像力、感受性である。その賜物を用いて、私たちが神の御業
に参加するよう 求められている。
◇今日の御言葉は、逆風に苦しむ弟子たちのところに、イエスが湖上を歩いて
来 られたという奇跡である。これは、奇跡物語であるが、わけの分からな い不
思 議な現象ではなく、私たち神の民が繰り返し経験して来た出来事である。神
の民 は、その歴史の中で八方ふさがりになることもしばしばであっ た。しかし、
そ の度に突破する道が備えられた。阿佐ヶ谷教会の歩みもそうである。不信仰
に曇 らされた目ではなく、神様から与えられた信仰の目を もって、自らの歩み、
世 界を見直す時、そこに働いておられる神のお姿を発見することができる。
◇レントは悔い改めの季節、人間の視点から神の視点へと向きを変え、神に立
ち 帰る季節である。自分の目で見ている事が本当なのではなく神が見てく ださ
る こと、神が見させてくださるものが本当なのだと信じることが悔い改めであ
る。 イエスのむごたらしい十字架の中にただ悲劇を見るのではなく、 神の救い
の御 業を見る。それは信仰の目によってしか発見できない現実である。
◇イエスは言われた。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る
方がま だ易しい」。らくだが針の穴を通ったら、それは奇跡中の奇跡であ る。
しかし、 それ以上の奇跡が私たちに実現している。罪に汚れた私たちには神の
国に入る資 格などない。しかし神の一方的な恵みによって今このよう に神の国
のメンバー とされている。つまり「らくだが針の穴を通るよりもっと難しい」
奇跡がこの私に おいてすでに実現している。与えられている信仰 の目をもって
私たち自身にす でに実現している神の奇跡をしっかりと発見し直したい。
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