2016/2/28ー受難節第3主日礼拝ー
「最初の信仰告白」
ヨハネによる福音書6:60〜71
牧師 大宮 溥
◇「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。これは聖書の福音の要約であり、世界を救おうとされる神の愛と、人間がこれを信じて救われるという、神の救いと人間の信仰が述べられている。今日のテキストはこれを物語として伝えている。
◇イエス・キリストはご自分が「命のパン」であり、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6:53)と語られた。これを肉的に理解した人々はつまずいて離散した。これに対して主は、受肉者は霊によって肉を生かす方であるから、肉に固執するのでなく、霊的に受け取らなければならないと教えられた。
◇そして主は12弟子に「あなたがたも離れて行きたいか」(67節)と訊ねられた。これは「あなたがたまで離れて行くことはないだろうね」というような、信頼のこもった問である。これに対してペトロは弟子を代表して「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(68〜69節)と答えた。
◇これはヨハネ福音書において弟子たちが「イエスは主である」と信仰を告白した最初の場面である。マタイ福音書ではイエス・キリストがこの信仰を告白する者(ペトロ=岩)の上に教会を建てると言われた。12弟子とは神の民イスラエルの12氏族を導く者であり、教会の初穂である。
◇聖なる神に召されることによって、神の民が形作られ、新しい時代が築かれるのであるが、その印象深い例がイザヤの召命記事である。若きイザヤは神殿に礼拝で、神の臨在と清めを受け、預言者としての使命に立ち上がった。キリスト者は皆十字架のキリストによって清められ、世界を神の国とするために、宣教と奉仕と交わりへと遣わされるのである。
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