礼拝説教

2016/3/27 −復活祭礼拝−

「復活の主との出会い」

ヨハネ福音書20:1〜18
牧師 大宮 溥


◇ヨハネ福音書の復活記事には「イエスが愛しておられた一人の弟子」が出てくる。この人はこの福音書の伝承を語った主の弟子ヨハネであるとも、この福音書が書かれたときに読者である信者自身がそこに居合わせたように記しているのだとも言われている。

◇最初の復活日の朝、マグダ?のマリアとペトロの墓もうでに加わった「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」は、空虚な墓の状況を「見て信じた」。イエス・キリストが、見える遺体としては取り去られているが、見えない存在として生きておられることを信じたのである。主イエスが閉じられた戸をくぐり抜け、霊的存在としておられることを「見ないのに信じる人は幸いである」と主はトマスに語られた。聖霊降臨節以後のキリスト者はこの信仰に生きている。

◇復活の主はマグダ?のマリアに出会われた。主イエスは当時としてはめずらしく、女の弟子を持ち、復活に際してもペトロと並んでマリアにも出会われたのである。しかし彼女は心の目がさえぎられて主を識別できなかった。主が彼女の名を呼ばれたとき、彼女は振り返って、1対1の出会いが実現し、呼べば応える関係ができた。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す(10:3)」。

◇マリアが懐かしさと喜びをもって主を抱こうとしたとき、主はそれを押しとどめ、受肉による下降から、栄光への高挙の道の途上であることを告げ、高挙の完成によって神が「わたしの父であり、あなた方の父、わたしの神であり、あなた方の神」となると語られた。主が人間となり、人間と一体になり、代贖と栄化の業をなし遂げられることによって、人間は主イエスと同じ神の子となり、永遠の命を宿して生きる者となるのである。「あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。…水の中を通るときも、…火の中を歩いても、…わたしはあなたと共にいる(イザヤ書43:1〜2)。」

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