2016/5/1
「キリストの栄光」
ヨハネによる福音書16:5~15
牧師 大宮 溥
◇主イエスは「訣別説教」(14~16章)で、主との別れを悲しむ弟子たちに、主 の天への高挙の意味を教えて慰めている。ヨハネ福音書はイエス・ キリストの 生涯の意味を「受肉」として説いたので、彼が地上を去られることは、神と人と を結び合わせていた絆が解け、弟子たちは孤児のように放置 されるのではない かと、悲しみに満たされたのである。
◇しかし、このとき「弁護者」としての聖霊が与えられる。これは審判において 人間を守り、赦しを与える神の力で、キリストが送ってくださる霊であ ると共 に、「霊的キリスト」でもある。「弁護者」によって、われわれの霊の目が開か れると、(1)キリストは、人間を不信仰に閉じ込めているサタンの 砦に乗り込まれ た。(2)キリストは、死と滅びのどん底から救い出した人間を、天へと導かれた。(3) キリストは、サタンの力を打ち砕いて、人間を解放 し、神の国の民とされた (8~11節)ことが明らかとなる。
◇ここには「勝利者キリスト」(アウレン)の御業が示されている。従来キリス トの贖罪について、(1)キリストの犠牲が神に人間の罪を赦す道を開いた (客観 説)(2)キリストの犠牲愛が人間を罪の共同体から真の愛共同体に変えた(主観 説)と説かれてきたが、「勝利者キリスト」を説く古典説が、中心 であることが 確認された。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わた しは既に世に勝っている(16:33)。この「勇気を 出せ」は、ガリラヤ湖上で嵐に 悩む弟子たちの船に近づいた、主の「恐れるな」である。
◇聖霊はまた「真理の霊」である(13節)。この「真理」は理論的な教えであるより も、人間に命を与え、苦難に勝利させるものである。それはキリ ストに栄光を 与える。主の祈りで「み名をあがめさせたまえ」と唱えるとき、暗黒の中でも主 の栄光が朝日のように輝き、世界を照らし、わたしを照ら す。それ故我々は 「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈る」。
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