礼拝説教

2016/6/5

「永遠の命」

ヨハネによる福音書3:22〜36
牧師 大宮  溥



◇紀元1世紀の地中海世界は、世界文明の夜明けで、いろいろな宗教が生まれ各地を照らしていた。ユダヤではヨハネ教団とキリスト教団が人々の注目を集めていた。この両者は入信儀礼として水による洗礼を施していたので、しばしば同一教団とみなされていた。今日のテキストはこの関係を明らかにし、キリスト教の洗礼の意味を明らかにしようとしている。

◇洗礼者ヨハネは、自分はメシアではなくメシアへの道備えをする者であると告げた。ヨハネは神の国の接近を知らせ、人々に悔い改めを呼びかけた。彼の洗礼は人間の悔い改めのしるしであった。しかし神の国に入るためには、罪が贖われ、人間が新しく生まれ変わらなければならない。これができるのは、神から遣わされるメシアである。神の国は救い主と神の民との婚礼であり、ヨハネは「花婿の介添え人」に過ぎない。ヨハネの洗礼が人間の悔い改めのしるしであるのに対して、イエスの洗礼は神の救いによる新生のしるしである。

◇31〜36節はイエス・キリストが誰であるかを教えるものであるが、ここで特にイエスを「神の御子」と呼んでいる。主イエスは神を「アッバ」と呼んだ。これは子どもが父親を呼ぶ時などに使われる、特別に情のこもった言葉であった。このようにイエスは「上から来られた方」であり、「父の愛と命と力」をもたらす方である。キリストは受肉の神として、神と人間を直結された。それによって、神の愛が豊かに人間の内に注がれ、神と人間とが永遠の命の交流を与えられるのである。

◇神は父・子・聖霊なる三位一体の愛の交わり、永遠の命であるが、御子の仲立ちによって、神の愛と命が人間の中に注ぎ込まれ、愛の共同体としての神の国が築き上げられる。本日、担任教師就任式を執行したが、『カラマーゾフの兄弟』の中で若きアリョーシャが恩師の死の混乱の中、朝露を求める大地のように、愛を求める同胞に神の愛を運ぶ使命を受け取ったのを思う。
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