礼拝説教

2016/7/3

「信仰の道」

ヨハネによる福音書4:43〜54
牧師 大宮 溥



◇主イエスは「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と述べられた。「故郷」とは、神の子の住むべき「神の国」のユダヤである。そこで受け入れられなかったので、主はガリラヤに行かれた。つまづきを転じて世界伝道への道を開かれたのである。

◇ガリラヤのカファルナウムに王ヘロデ・アンティパスの家臣が住んでおり、その息子が病気で死にかかっていた。この役人は主の居られたカナまで出かけてゆき、自分たちの町に「下ってきて息子をいやしてくださるように頼んだ」。

◇彼は、自分の願いから動くエゴ中心の態度を主イエスに正されると、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と懇願した。「主」というのは、キリスト教の最初の信仰告白が「イエスは主」であったことと関係しており、信じて頼る姿勢が表れている。

◇主は彼に「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われた。我が家に帰る役人の心には、恐らく二つの思いが激しく戦っていたことであろう。一つは、主が自分の願い通りに同行してくださらなかったので、息子は助からないかも知れないという絶望の思いである。しかしもう一つ、主の「あなたの息子は生きる」との言葉に期待の思いを抱いたに違いない。この戦いの中で、父親は「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」。これが信仰の道である。

◇信じて帰って行く役人に、その途上で僕がやって来て、息子の生還を告げた。その時が主イエスの宣言の時であったことを知った役人は「彼も家族もこぞって信じた」。「見ずして信じる」信仰(20:29)の勝利である。

◇あの役人に向かって主イエスは「あなたの息子は生きる」と言われ、「治る」ではなかった。これは、イエスを信じる者は病の癒しだけでなく、死によっても損なわれることのない、真の命を与えられることが示されている。キリストは「復活であり、命である(11:25)」。信仰の道は、命である主と共に歩むことである。

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