礼拝説教

2016/7/10

「共に食し、共に祝おう」

コヘレトの言葉3:1〜17、マタイ福音書26:26〜30
伝道師 江原 有輝子



◇コへレトの言葉3章の「時の詩文」の中心には「喜び楽しんで一生を送ること、飲み食いして満足することが人間にとって最も幸福なことだ」とある。これが中心聖句と言える鍵は「神の賜物」という言葉である。コへレトは、飲み食いとは神から与えられたものだと言う。神の賜物の観点から「時の詩文」を読むと、そこに示されている様々な時が「戦いの時」と「平和の時」の下にまとまって配置されていることが分かる。それらの時は最終的には、神から与えられる、調和の取れた、完全な状態である「シャローム(平和)の時」へと収れんしていく。

◇ある時が「シャロームの時」であると、失われて初めて分かる。失われた後の地点から眺めるとき飲み食いの持つ深い意味が浮かび上がってくる。人々は神から与えられた賜物としての飲み食いの意味を、明日戦争に出ていく家族とともに食べる最後の食事の時に深く思い知った。

◇この観点から見ると最後の晩餐の意味がさらに深く見えてくる。弟子たちは、主の受難と復活の後で初めてそれが最後の晩餐であったこと、主ご自身がパンとぶどう酒を与えてくださった最後の晩餐こそが、主の与えてくださるシャロームの時だったことを知った。

◇最後の晩餐もコへレトの飲み食いも共同体の食事である。日毎の糧が得られる保証のない時代に、家族そろって食事のできる喜びはかけがえのないものだった。主は、パンを主の体として、ぶどう酒を多くの人の罪を赦すために流される主の契約の血としてお与えになることによって、日常的な食事を聖なる食卓へと変えてくださり、私たちには肉の糧とともに、霊的な食事が必要であることを示された。

◇私たちが聖餐に与り、愛餐会を持つとき、神が与えてくださる神の食卓、神の宴会に連なるのである。主は、私たちに霊肉両方の糧を与えて、私たちにシャロームのうちに生きるようにと招いてくださる。だから私たちは、共に食事をし、主の平和の時を共に祝うのである。

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