2016/7/24
「今ここに踏みとどまる」
ヨハネの黙示録5:6〜10
協力牧師 中野 実
◇ヨハネ黙示録は、視覚的想像力を刺激する多くのイメージや謎めいた象徴で満ちている。それ故しばしば誤解されてきた文書である。しかしヨハネ黙示録は、我々の地上の現実から天上の世界へと逃避する事を勧める文書ではない。むしろ地上の世界を新しく見直し、新しく生きる力を与えてくれる書物である。
◇ヨハネは、不思議な仕方で天にまで引き上げられる。そこで玉座におられる神を見る。神の右手には七つの封印で閉じられた巻物があり、その封印を解いて、中身(神のご計画)を明らかにできるのは、我らの主イエス・キリストのみである。主イエスは「屠られたような小羊」の姿で登場し、巻物の封印を解き始める。それを見ていた天上の者たちは喜び、讃美を始める。5章9節以下参照。
◇それによれば、我々キリスト者は地上を統治する王であり、神と人(世界)をとりなす祭司である。このメッセージにとくに注目したのは宗教改革者ルターである。彼によれば、キリスト者は、信仰によってキリストと共に、すべてのものから自由で、すべてを支配する王であり、同時に神と人との間をとりなす祭司なのであり、我々が祭司として願い、望むことを神はすべて聞き入れてくださる。
◇では我々が地上で祭司であるとは一体どういうことか?(元カンタベリー大司教)ローワン・ウイリアムズは言う。「この世で最も困難なことは、今いる場所に踏みとどまることだ」。「平凡な時」「平凡な場所」を生きることの大切さを指摘しつつ、彼はさらに言う。「私たちは今いる場所以外のどこかから出発したいと考える。しかし、私たちは今この瞬間にも、神の働きの道具となるために、今日のこの私たちが神によって十分に愛され、また価値ある者とされている。・・・その事実を拒むことなく、地に足の付いた生活をすることこそが神の国にふさわしい生き方である」。我々は今ここに踏みとどまり、平凡な働きをこなしながら、神と人々(世界)との間をとりなす、光栄ある祭司の働きを果たすのである。感謝したい!
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