礼拝説教

2016/7/31ー聖霊降臨節第12主日礼拝ー

「神との出会い」

出エジプト記2:23〜3:15
青山学院大学宗教主任 大島  力



◇出エジプトの出来事は、イスラエルの人々の「叫び」から始まっている。それは苦難の中から発せられた素朴な声であった。しかし、その「叫び」を神は祈りとして受け止め、顧み、御心に留めて下さったのである(2:23〜25)。

◇他方、モーセは葛藤のただ中にあった。エジプトの王子として育てられたが、彼はイスラエルの民の一員であった。その出生の秘密を知ってからモーセは悩み、ミディアンの地で逃亡の生活を送っていた。そこで出会ったのが「燃えているが、燃え尽きない柴」のしるしであった。神はその間からモーセに語り掛け、出エジプトの指導者として立てようとしたのである。

◇当然、モーセはその召命に躊躇を覚え、「わたしは何者でしょう」と答えた(3:11)。 それは、悩みと葛藤のただ中にある自分には、とてもそのような大きな使命は果たせないという叫びであったと思われる。しかし、神はそのモーセの叫びをも聞き、確かな約束を与えて使命を全うするように求めたのである。その約束とは「わたしは必ずあなたと共にいる」ということであった。

◇その約束は、神の名前の中にも示されている。「わたしはある。わたしはあるという者だ」。この「わたしはある」という名前は、「わたしはあなたと共にある」という意味である。イスラエルの神は、人間を超えた「聖なる方」であると同時に、人間と「共にある方」である。まさに、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であり、その方がモーセに出会い、重大な使命を与え、最後まで「共にいて」くださることを約束されているのである。

◇そのしるしが「燃え尽きない柴」に象徴的に示されている。私たちは使命に燃えて生きるように神から語り掛けられているが、その原点には「燃えても、燃え尽きない」神の恵みと力があるのである。そしてそのモーセに示された神が、イエス・キリストの神であり、私たちの教会の神でもある。

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