2016/8/14ー聖霊降臨節第14主日礼拝ー
「イエスの赦し」
ヨハネによる福音書8:1〜11
牧師 大宮 溥
◇主イエスはご生涯の終わりにエルサレムに上られ、昼は神殿で教えを説かれ、夜はオリーブ山の麓のベタニアに泊まられていた。人々の中から信じる者が出た半面、ユダヤの教師たちは主を民衆への扇動者とみて 、その没落を図った 。
◇そこで彼らは 「姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ 」処置を請うた 。
モーセの掟によれば石打ちの刑である(レビ記20:10、申命記22:22〜24) 。この問いに対して、石打ちにせよと答えれば、愛の教師という仮面をはぐことになり、赦せと答えれば、律法違反の偽善者であると言い立てようとした。
◇このような質問攻めの中で、 「イエスはかがみ込み、地面に何か書き始められた 」。これは 、あるいは 「書く 」が 「登録する 」という意味もあるので、問う人々の罪を書き出していたのかも知れない。 「悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはいけない 」(出エジプト記23:1)と書いたとも、単純に 「あなたの敵を愛せよ 」とも想像する人がある。いずれにせよ、主イエスは人々が静まって、自分自身で神の前に出るように、促しておられたのである。
◇しかし人々は、主イエスが返答に窮しておられると勘違いして 「しつこく問い続けた 」。そして目を女から離して、字を書く主の指に注目したことであろう。そのとき主は、ご自分の指を群衆の一人一人に突き付けて、 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまず、この女に石を投げなさい 」と語られた。人々は自分に問いかけられて、 「(良心を刺されて)年長者から始まって、一人また一人と、立ち去った 」。
◇最後に主イエスと女だけが残ると、主は 「わたしもあなたを罪に定めない 」と言われた。ここで 「わたし 」は深い意味を持っている。主は群衆のように 「同病相憐れむ 」情からでなく、人間の罪を代わってご自分の身に負う、十字架の主として 、罪の赦しを与えてくださったのである 。この赦しは過去の罪を消去するだけでなく、その人を新しい人間としてこの世に派遣する。
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