礼拝説教

2016/9/11-特別伝道礼拝- 

「信仰の原点」

イザヤ60:1〜2、マルコ6:34〜44
窪寺俊之先生



◇この物語は4福音書すべてにあり、初代教会の「霊的遺産」である。飼い主のない羊のように疲れ果てた人々が集まって熱心にイエス様の話を聞いていた。人里離れた所にいたため、夕方になると弟子たちは食べ物について心配した。

◇食べ物の準備は群衆の役目だと考える弟子たちに、イエス様は、それはあなたがたの仕事だと言われた。弟子たちは驚いて不平不満を述べる。我々が神を忘れ自分のことを嘆くのは、キリストの言葉に従えない我々の罪である。

◇主に従わず行動を起こさない弟子たちを、主は「行って見てきなさい」と送り出される。弟子にとっては「5つのパンと2つの魚しかない」が、それがあることが重要であり、イエス様はそれで奇跡を起こそうとされる。経験と知識に頼る「肉の目」ではこの世は混乱と不平の暗黒である。だが、神の視点である「霊の目」で見るとき、我々が希望を失わないようにイエス様を送り、光を注いでくださる神様の愛が見える。

◇イエス様は群衆を鎮めてパンと魚を手に取られた。弟子たちが一度それらを手から放して主に委ねなければ、奇跡は起こらない。信仰とは自分が握りしめているものを手から放し、イエス様を信頼して委ねることである。

◇イエス様の祈りは非常に重要で全福音書にある。主は5つのパンと2匹の魚を感謝し、これらを通して神様が業をなしてくださると信じており、すべての人が食べて心も体も満足した。私たちに必要なのは、行って見てきて、私たちが見つけた小さなものを主にお渡しすることだ。すると主は賛美の祈りをささげてくださる。

◇ホスピスには末期がんと診断された方が入っている。ある男性は気難しく家族にも感謝しなかった。病室に流れる礼拝放送を聞いて福音に目が開かれ、聖書が読みたいと言い、キリスト者となり家族に感謝して天国に召されていった。

◇私たちはこの世に失望することがあるが、イエス様につながった者に、神はいつも共にいて慰めを与えてくださる。
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