礼拝説教

2016/10/30 -降誕祭前第8主日礼拝-

「ただ主のまことによって」

ローマの信徒への手紙3:21〜26
協力牧師 中野  実



◇来年500周年をむかえるルターの宗教改革の背後には聖書との格闘、とくに「神の義」をめぐる格闘があった。ルターはそれを通して福音を再発見した。

◇ローマ書3:21-26のテーマは「神の義」である。なぜパウロは「義」「正しさ」を話題にしているのか?それは、我々人間が自分の正しさを主張して、裁き合っている現実があるからである。人間の主張する義が正しく機能しない現実を我々はいやという程知っている。どうしてそうなのか?パウロによれば、すべての者が罪の支配の下にあるからである。罪は支配する力である。罪の支配の下にあるがゆえに、どうにも正しくなりえない。それが人間の根本問題である。

◇「ところが今や」、人間の義ではなく、神の義が示された。それはイエス・キリストの信実、まこと(ピスティス)を通して、信じる私たちに与えられた神の義、正しさである。主イエスは神の御心に従って十字架への道を進み、自らの死によって死を滅ぼし、復活の命に入る道を我々に切り開いてくださった。それが主のまことである

◇我々は自らが罪と死の支配から救われるために、何もしていない。いや、何もすることができない。正しくなりえない我々に出る幕はない。しかし神は、一方的な恵みによって、罪と死からの救いを無償で我々に与えてくださった。それが神の義である。

◇ただ神の恵みによって、ただ主イエス・キリストのまことによって、我々の人生は成り立っている。ただ神の恵み、主のまことによってのみ、今日のこの命が与えられている。その根源的な恵みに常に立ち戻りつつ、それによって支えられながら、我々はただ神を、ただ主を讃美しつつ、新しい一週間の歩みへと踏み出して行こう。「大いなるは主のまことぞ、朝に夕にたえせず、みめぐみもてささえたもう。たたえまつらん。我が主を」(讃美歌第二篇191番)。

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