礼拝説教

2016/12/4 -待降節第2日主日礼拝-

「起きよ、光を放て」

イザヤ書60:1〜7
牧師 大宮 溥



◇アドヴェント・キャンドルが灯されると、われわれの心に主の恵みの光が輝く。マリアのエリザベト訪問の際に、「その胎内の子(ヨハネ)がおどった」ように、降誕の恵みは子供に及んでこれを祝福する。しかし子供と対極的な老人にも、「主よ、今こそあなたは…僕を安らかに去らせてくださいます」と、平安を与える。主を迎えることは「すべての民に与えられる大きな喜びである。

◇今日の御言葉は、第三イザヤ(イザヤ書56〜66章)の預言である。第二イザヤのバビロンからの帰還と慰めの預言が成就して、ユダヤ人たちは祖国に帰ってきた。しかし、その祖国は他人の手にわたり、異民族が支配していた。人々はあの慰めの神はどこにおられるのかと問うた。それに対して第三イザヤは民の悪と罪が神と民とを隔てていると告げた(59:1〜2)。

◇しかし、このような魂の荒野で、神はお一人で「贖うものとして、シオンに来られる」(59:16〜20)。それ故、神の民も神の国の建設のために立たなければならない。「盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ」(57:14)。「起きよ、光を放て」(60:1)。

◇しかし、第三イザヤが見た神の到来のヴィジョンは、信仰で味わう前味のようなもので、厳しい現実は依然として立ちはだかり、彼は「どうか、天を裂いて降ってください」(63:19)と祈っている。

◇この祈りが現実に事となったのは、イエス・キリストが、まさしく「天を裂いて降って」くださったことによってであった。主イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった」(マルコ福音書1:?)。このとき主イエスに、「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえた。これは、詩編の神の子預言とイザヤ書の「苦難の僕」の言葉で、天地をつなぐ存在である。

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