礼拝説教

2016/12/11 -待降節第3日主日礼拝-

「神は我々と共に」

マタイ福音書1:18〜23
牧師 大宮 溥



◇クリスマスは夜空を動く星の中心に動かずに輝いている北極星のように、人類の星座の中心であるイエス・キリストが「輝く明けの明星」として、新しく輝くときである。

◇マタイ福音書は、イエス・キリストを「救済史」の中心、「第二のモーセ」として書き出し、今日のテキストでは、その誕生が、母マリアの「聖霊による身ごもり」であり、神が人間と結び合う出来事であったと告げている。人間を罪と滅びから救うためには、神が人間の身代わりとなって、ご自分の聖なる命を人間に与えてくださることが必要だったのである。「イエス」は「神は救い」という意味で、「この子は自分の民を罪から救う」ものとして命名された。

◇この真の太陽である主イエスを最初に迎えたのはマリアとヨセフであった。この二人は、その後イエス・キリストを自分の内に宿し、これをこの世に運んで行った代々のキリスト者の先頭に立つ人であった。マリアは御告げの天使に「お言葉どおり、この身になりますように」と従順に対応し、ヨセフは天使の御告げを聞いて黙して「命じたとおり、これを行った」。

◇このヨセフは「クリストファー」伝説の原型だと言われている。川のほとりの小屋に住み、旅人を背負って川を渡していた男が、嵐の夜に男の子に頼まれて渡り始めたが、嵐は一段と激しくなり、男の子は抱えきれないほど重くなった。ようやく川を渡って、対岸に男の子を置くと、それはイエス・キリストであったという。

◇「クリストファー」(キリストを運ぶ者)はキリスト者の姿である。キリスト者は、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と告白する。それと同時に、私がキリストを内に宿し、またキリストを担ってこの世に運んでゆく。父ヨセフは、このクリストファーの列の先頭に立って行く人物である。キリストが苦難のこの世に来て我々と連帯してくださることを感謝しつつ、時代の苦難に連帯して生きよう。

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