2016/12/18 -待降節第4日主日礼拝-
「主が貧しくなられた日 」
コリントの信徒への手紙二 8:8〜9
牧師 加藤真衣子
◇ 「深い穴に落ちた人 」というクリスマスの話がある。通りがかった最初の人は 「それは不注意の結果です 」と言って、行ってしまった。2番目の人はなんとか救おうとしたが、穴が深くて助けられなかった。3番目の人は穴の中へ降りていき、落ちた人を背負い、穴をはいあがり始めた。そして外へと救い出した。外はまぶしいほどの光。助けだされた人の目からは、涙がボロボロこぼれた。主はこの3番目の人だ。私たちより下に降りてきて救ってくださる。
◇「すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた 。 」クリスマスは主が貧しくなられた日だ。 「主が貧しくなったというのは「主が失った」ということ。主がご自分の豊かさを失ったのだ。
◇私たちの生涯は、失う旅路だ。仕事やお金、家、家族や友人の死など、あるときには一瞬でそれらがなくなってしまう。目に見えるものだけではない。人間の尊厳、信頼、友情、勇気、生きる意味、生きる気力を失うこともある。その喪失感は、涙でもそこを埋めることが出来ない。主がおられなければ、私たちの生涯は喪失と痛みの連続だ。しかし、だからこそ神は、クリスマスを与えてくださった。
◇本当に失ったのは神さまなのだ。わたしたちが豊かになるために主が貧しくなられた。飼い葉おけの中に生まれた主は、十字架の上で死なれた。主は死ぬためにお生まれになった。私たちの罪を背負い、身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださった。
◇東方の学者たちは夜の旅路を、導きの星に導かれた。時々は星が見えなくなったかもしれない。しかし星が見えなくなったからといって、星が無いわけではなかった。そして学者たちは救い主を礼拝してから、 「別の道を通って(マタイ2:12) 」帰って行った。これまで生きてきた道とは別の、主と共に生きる道を生きていったのだ。私たちも主が共に生きてくださる日常へと、遣わされていこう。
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