2017/02/5
「いのちの糧を共に」
ルカによる福音書22:14〜23
牧師 加藤真衣子
◇教会の聖餐式は、主イエスが弟子たちと囲んだ最後の晩餐を受け継いでいる。その夜は、絶望や不安や死が取り囲んでいるような夜だった。事実、主は食事の後、十字架の死の中へおもむかれる。私たちが歩む地上の生涯には苦難があり、死別がある。しかし肉の目には隠されているが、本当に私たちを、また世界を支配していらっしゃるのは、死に勝利された主だ。
◇主は十字架の死の前夜、弟子たちと「過越の食事」(出エジプト記12章)を囲まれた。主は、小羊の犠牲の血ではなく、ご自身が十字架の上で裂かれる体と、流される血とによって、あなたたちに新しいいのちを与えるとおっしゃったのだ。神と隣人を傷つけ、愛するよりも憎んでしまうことの多い私たちを、罪と死の奴隷から救い出すために、主は来て、十字架の死によって罪を赦してくださった。そのことによって、私たちのための出エジプト、私たちのための過越は実現した。
◇主が最後の晩餐で共に食卓を囲んだ一人は、主を裏切ったユダだった。晩餐の後には「誰が一番偉いか」というもめ事が起こり、ペトロが主を裏切る予告もされる。ゴルゴタに向かう主の十字架を運んだのも、主の十字架の左右に一緒に処刑されたのも、共に食卓を囲んだ彼らではなかった。彼らはやがて全員、主を捨てる。それをよくよくご存じで、主は皆にパンと杯を分かち与えられた。
◇主の体と血にあずかることは、人間の思いや功績によらない。私たちの成功や失敗によらず、ただ主の憐れみによる。私たちがあずかる主の体は、死よりも強くされた体であり、主の血は私たちの罪を一切消し去ってくださる。だから私たちは、やり直すチャンスがある。主の恵みのもと、主と共に生きる者として新しく生きることができる。礼拝で神の国を垣間見つつ、神の国の食事を先取りしよう。神の国では愛する人たちとの再会も待っている。その時には復活の主が、最上の私たちを取り戻してくださる。
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