礼拝説教

2017/02/12

「地の塩、世の光」- 創立記念礼拝 -

マタイによる福音書22:14〜23
牧師 大宮  溥



◇日本メソジスト第2代監督平岩愃保牧師は、1924年2月11日の「紀元節」を創立記念日とされた。近代日本を「神の国」として福音によって築いてゆく決意が込められている。大村勇牧師も、第2次大戦の終わりの東京大空襲の折、「われは死ぬることなからん。ながらえてヤハのみわざをいひあらはさん」(詩編118:17)と、戦後の日本伝道の幻を見られた。

◇本日創立93周年にあたって、われわれは教会創立の精神に立ち返り、主イエスがわれわれを「地の塩、世の光」であると告げておられることに心をとめよう。これは先ず、主イエス・キリストに当てはまる。塩は、自分が溶けて他の命を引き立てる「犠牲」を表す。主は十字架の犠牲によって人間を生かして下さった。「世の光」なるキリストは、宇宙に満つる神の愛を一人の人間に凝縮しており、それ故彼によって我らを燃やす。教会は「キリストの体」として、神を愛し、人を愛して、生きるのである。

◇教会を「地の塩、世の光」としてこの世に派遣する「宣教の大号令」がマタイ福音書の最後に記されている。復活の主に招かれてガリラヤの山に登ったのは11人で、しかも「疑う者もいた」。量質ともに不完全であった。しかし、彼らにイエスは「近寄ってきた」。力に満ちて乗り込んで来られた。三位一体の神の名による受洗は、愛の交わりとしての神が、ご自分の外にまで愛を注ぎ出し、「インマヌエル(神共にいます)」共同体を生み出すのである。この教会を主は「見よ!わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と力強い祝福をもって世に派遣される。

◇宣教の大号令にもかかわらず、われわれは宣教と奉仕と交わりの使命をもって派遣されながら、しばしば困難の前に挫折する。21世紀の宣教は、戦後のブームが去り、高齢少子化の群が宗教的無関心層へと入って行かなければならない。しかし、「世の光、地の塩」である主イエスの燃える愛と祝福を受けて進むのである。
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