2017/03/05
「神の国と神の義」- 受難節第1主日礼拝 -
マタイによる福音書6:25〜34
牧師 大宮 溥
◇「空の鳥と野の花」の教えは、「山上の説教」の中でも深く心に残る御言葉である。主がこの教えを語られたとき、彼は「放浪の霊能者(カリスマティカー)」として、職業を捨てて各地を巡回し、「枕するところもない」状態であった。そして弟子たちにも自分たちを主にゆだね、献身と伝道と奉仕に専念するように命じられた。
◇6:19〜24では、「富を天に積む」ように命じられている。これは富む者に対する命令である。「富を地に積む」とは、人間が自分の力で自分の望む世界を作ることである。しかし我々は、神によって命を与えられ、この世に送り出され、この世を神の国とする使命を与えられている。
◇「思い悩むな」という教えは、貧しさの中で衣食住の不安を抱いて生きている人々に対して語られている。「蒔き、刈り、倉に納める」のは農業で、男の仕事。「紡ぐ」のは機織りで女性の仕事であった。そのような勤労へと促すものは「思い悩み」である。「心が分かれる」ことで、神から心をそらすのである。しかし「空の鳥」(烏)も「野の花」(あざみ)も、父なる神が養われる故に、絶対依存の自由を生きている。
◇それ故人間も「まず、神の国と神の義を求めよ」と命じられる。神の支配を受け、その支配を担って、神の国の実現に務めよと命じられる。宗教改革者は「召命としての職業」を説いたが、職業だけでなく、教育、政治、家庭などを、神の国の自分の部署として生きるのである。
◇人間はこれまでは自然の子供で、自然の提供してくれる食料で養われ、排泄物を自然が腐敗分解処理をしてくれた。しかし、現代においては「成人」となり、科学技術によって生産を増大させると共に、自然破壊により、再生不能な滅亡も招来する。それ故責任を自覚し、「持続可能な世界」の管理者として、神の創造の御心の実現に務め、隣人と自然と「共に生きる世界」を築いてゆくことが求められている。神の愛の支配に服し、自然と隣人と「共に生きる共同体」を作ることが求められている。
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