礼拝説教

2017/7/16

「共同体のすべての人を祝福される主イエス」
−聖霊降臨節第7主日礼拝−

マルコ福音書1:40〜45
  牧師 古屋 治雄



◇主イエスがガリラヤ地方に精力的に宣教されたことがマルコ1章に伝えられています。この主イエスのお働きは固定化していたユダヤ社会にそれを変革していく新しい力となりました。

◇当時のユダヤ社会で共同体から隔離されていた、重い皮膚病を患っている人が主イエスの前に現れました。主イエスによる癒やしの出来事が続いているこの箇所ですが、そのような中でもここに登場している人は最も大きな絶望を背負ってきた人と言えるでしょう。

◇主イエスの前に現れたこと自体大変勇気のいることでした。見方を変えるならば、主イエスがこの人をご自分の前に引き寄せてくださったとも言えるでしょう。 ◇当時の祭司たちが病に診断を下す役割を担っていたことに対して主イエスの働きは根本的に違っていました。主イエスは「腸がちぎれる思いに駆られ」(41節、岩波訳)、手を差し伸べてその人に触れて、宣言されました、「よろしい。清くなれ」と。これは主イエスがはっきりと「私はそのように欲する(意志する)」という意味です。主イエスがこの人に触れてくださったことによって、神の共同体から引き離され、神の恵みを受けて生きることができず、神の呪いを受けているとしか思えないこの人を神様に対して距離ゼロとしてくださったのです。

◇私たちは主イエスの癒やしの奇跡に接する時その人だけに起こった特別なことと受けとめがちです。しかし主イエスはいつも神の民の中にその出来事を起こしてくださっていることが分かります。特にここでの出来事はそうです。「だれにも、話さないように気をつけなさい」と言われましたが、秘め事となさるためではありませんでした。主イエスは奇跡的出来事が一度明らかにされると主イエスの御心を離れ、それが独り歩きして期待優先の尺度で見られる危険性を知っておられました。

◇44節の続きをみると、主イエスが当時の慣習に則して清められたことを祭司に見せて正式に共同体に受け入れてもらうように仰っています。主イエスは神の民皆が回復されること、そのことが皆の喜びになるよう働いてくださいました。   

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