礼拝説教

2017/7/23

「積極的介助から希望が」
−聖霊降臨節第8日礼拝−

マルコによる福音書2:1〜12
  牧師 古屋 治雄



◇カファルナウムに戻られた主イエスと弟子たちのところに癒やしを求めて大勢の人々が押し寄せて来ました。その家の中はもちろん、戸口まで立錐の余地がないほど人だかりとなっているところに、中風を患い自分では動けない人が床に乗せられ、四人の人に運ばれて来ました。この人たちは、きっと主イエスが癒やしをなさることを聞きつけて来たのでしょう。しかしあまりにも大勢の人で家の中に入ることができません。

◇「中風で苦しんでいるこの人を主イエスに会わせてやりたい。自分たちではどうにもならないが、主イエスならきっとなんとかしてくれる。見過ごしになさるはずはない。」運んで来た四人は、屋根に上がって主イエスのおられるであろう所にこの人をつり降ろすという、予想外でしかも危険な行動に出たのです。主イエスも集まっていた人々も皆、つり降ろされた中風の人とつり降ろした四人に目が釘付けになったことでしょう。

◇主イエスは「彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われ」(5節)ました。ここで注目されるのは、病気の本人にではなく、「彼らの信仰を見て」と、言われているところです。主イエスは、その苦しみを一緒に担っている人々を見てくださっているのです。「彼らの信仰」とは、この四人の主イエスに対する信頼であり、この四人と運ばれていた本人が相互にもっていた信頼と言ってよいでしょう。その信頼を主イエスはご自分に注ぎ出されている「信仰」と受けとめてくださいました。

◇主イエスは「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。この言葉は、病気を神様からの罰として受けとめていた当時の人々を、根本的に解放する言葉だけでなく、この場に集まっていたすべて人々に向って宣言された主イエスの言葉です。律法学者たちはこの主イエスの赦しの宣言を神への冒涜としか聞けませんでしたが、この場にいた人々の中に神様への賛美が生まれました。病気の人たちだけでなく、地上に生きる者すべてが神様の赦しに与って生きることのできる新しい時代が到来したのです。



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