礼拝説教

2017/08/26

「わたしの兄弟とはだれか」

マタイによる福音書12:46〜50
伝道師 江原有輝子



◇聖書時代のユダヤでは家族は今以上に大切だった。十戒にも「あなたの父母を敬え」とあり、父は家長として祭司的な役割を持ち、多くの息子を産んだ母は誉れあるものとされた。自分の産んだ子供が出世すると、周囲はその母を誉め讃えて特別扱いするが、今日の聖書の個所は、私たちが日常的に行うことがイエス様によって否定された出来事である。家族の来訪を大喜びで伝えた弟子は、イエス様から驚くほど冷たい言葉を聞いた。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」

◇当時、ユダヤ人やギリシア人たちが伝統的な宗教を捨ててキリストに従う時、必ず家族の分裂が起こった。イエス様に従えば愛する家族から離れる苦しみを味わう。原始教会にはそうした人々が多くいた。現代の日本でも、キリスト教徒になると地域の強いつながりから切り離されるため、地域伝道は難しい。家族のだれかがキリスト者になりたくても、家族から切り離されて一人で生きることも難しい。キリストに従うことは私たちに、神を選ぶか家族を選ぶかの決断を強いる。

◇マタイ福音書10章でイエス様は、「わたしより自分の家族を愛する人は、わたしにふさわしくない」と言われ、私たちはキリストに従う厳しさに直面する。家族が私たちの妨げになるなら、神を取って家族を捨てねばならない。イエス様は、家族を捨てて従った人たちに弟子たちを指し示して「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言われた。

◇この言葉は、現代も信仰のために家族を捨てねばならない人々に慰めを与える。肉なる家族を捨ててイエス様に従う者にイエス様は新しい家族を与えられる。私たちは主に従う時新しい者となり、新しい家族、主にある兄弟姉妹が与えられる。そして天の父の御心を行うことによって、私たちは主の母、主の兄弟となる。 ◇肉の家族の破れで苦しむ人々も、自分には神から与えられた新しい家族がいると知る。一人暮らしの高齢者にも、イエス様は教会を指して「見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言ってくださる。
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