礼拝説教

2017/12/3ー待降節第1主日礼拝ー

「人間の努力の向こう側から」

マルコによる福音書4:26〜32
  牧師 古屋 治雄 



◇本日よりアドベントに入りました。この期間を私たちは待降節とも言いますが、主がこの世界に確実に「来てくださる」という意味があります。それゆえに私たちはこの主に信頼して待つことができるのです。今日の御言葉は、主イエスがマルコ4章でたとえをお語りくださった最後の部分です。ここにアドベントによって新しくこの世界に何が起こっているかを伝える言葉を見出すことができます。主イエス到来によって「実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」(29節)。地上に生きる人々が、神の恵みの中に生きることができる、「収穫」の時が到来したのです。

◇4章の始めから主イエスは、まず種蒔きのたとえとその解説、灯火のたとえ、そして本日の箇所である26節以下で成長する種のたとえをお語りになりました。ここで一連のたとえがはっきりと「神の国」を指し示しているたとえであることが言われています。まず言われていることは、農夫の丹精込めた労働には一言もふれられず、成長を「その人は知らない」(27節)また「土はひとりでに実を結ばせる」(28節)と断言されています。主イエスは、御言葉に聞く者に御言葉自身の力が働いてくださり、御言葉に信頼する力が湧いてくることを仰っておられるのです。「聖言うちひらくれば光をはなちて愚かなるものをさとからしむ」(詩編119:130)

◇続くからし種のたとえも同様に神の国の成長が桁外れに大きいことが語られています。実際からし種は他の種に比べてとても小さいものです。4章での一連のたとえ話しが種蒔きのたとえから始まりましたが、ここでも主イエスは実際の収穫ではあり得ない「六十倍、ある者は百倍の実を結ぶ」(20節)と成長と実りの常識を越える大きさをすでにお語りになっておられました。2017年のクリスマス到来によって地上に生きるすべての人が、神の国、神の恵みのご支配の中に招かれていることを感謝してアドベントの一日一日を過ごしましょう。

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