礼拝説教

2017/12/10ー待降節第2主日礼拝ー

「約束を待てなくても」

ルカによる福音書1:1〜17
  牧師 古屋 治雄 



◇アドベント第二主日を迎え、救い主イエス・キリストをお迎えする思いが高まってきています。しかし一番初めのクリスマスの時、聖書の民は今日私たちが心待ちにしているようには待っていませんでした。「見よ、わたしは使者を送る。・・・あなたたちが喜びとしている契約の使者、だが彼の来る日に誰が身を支えうるか。・・・しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。」(マラキ書3:1,2,20)

◇当時のイスラエルの民には神様が世界の裁き主として到来されること、しかし神を畏れる者は裁きに滅ぼされるのではなく、救いが約束されていました。ザカリア夫婦は主イエス直前のイスラエルの民を代表していると言っていいでしょう。この二人は神様の約束を信じてはいましたが、自分たちが神様の救いの歴史を中心的に担う当事者などとはまったく考えていませんでした。

◇この老夫婦は子が与えられませんでした。若いときは子が与えられるよう熱心に祈っていたことでしょう。しかしザカリアに天使が現れたこの時まで祈り続けてはいなかったでしょう。旧約聖書の一番最後となるマラキ書の最後の預言の言葉はこうでした。「彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」 (マラキ書3:24)ザカリアは、やがてエリヤが到来して救い主の備えをなすこの預言が、自分たちから生まれる子によって実現するとはまったく考えることができませんでした。

◇クリスマスの端緒となるザカリアに起こった出来事は、これまでは正しく生きてきた者であっても、そのまま受け入れることができず、 「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかった」(ルカ1:20)ことが明らかにされてしまいました。しかしここにクリスマスの出来事を起こしてくださった神様の御決意が注がれています。ザカリアの不信仰によって中断されることはありませんでした。いやザカリアの不信仰を突き破って、救い主到来へと推し進めてくださいました。

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