2018/01/14
「墓場からやって来た者を」
マルコによる福音書5:1~20
牧師 古屋 治雄
◇主イエスが「向こう岸に渡ろう」と仰って着いた地は、ゲラサ人の地方という異邦人の地でした。この異教の地でも「汚れた霊に取りつかれた人」がすぐに主イエスの前に現れました。この男の人はこれまでこの社会の中で悲惨極まる生活を強いられてきました。墓場に鎖で繋がれ、時にそれを引きちぎって「墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(5節)のでした。この人は、生きているのに死んだ者とされ、死んだ者とされても実際は命をもっているのです。この地方の人々が彼を墓場に繋いでいた背景には、私たちは認めたくないのですが、そうでもしないと共同体としての生活が成り立たないとの判断がありました。
◇主イエスの前に現れたこの人は「かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と叫びました。この言葉は間違いなくこの「汚れた霊に取りつかれた人」自身の言葉です。と同時にこの人を支配してきた汚れた霊そのものの声とも言えるでしょう。この人自身と支配している霊力とを分けることができないのです。主イエスがこの人の前に現れたことによって新しいことがここに起こっています。この人自身としてはこれまできっと何回も助けになることを試みてきたことでしょう。人に頼ることも人間の力を超える何かに頼ろうともしてきたことでしょう。しかしそれらは皆悲惨な状態への逆戻りでした。
◇しかしこの「苦しめないで欲しい」との言葉には新しい意味があります。主イエスの圧倒的な命令の言葉「汚れた霊、この人から出て行け」との言葉によって汚れた霊がとても太刀打ちできないことを告白しているのです。続いて主イエスが名を尋ねると「名はレギオン。大勢だから」。主イエスによって発揮されている神の権威は、神の恵みを奪っている力の正体を明らかに、どんなにローマの軍隊組織のように巨大な力を誇ってもそれらは皆解体されてしまい、人々に分かるようにそれらは豚の中に入って滅んでしまいました。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com